徒然草 あるご

つれづれなるままに日暮らし、PC画面にむかひて、インターネットに移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

あたかも徒然草をもじって吉田兼好が今の時代に生きていたら、相当いろいろ書いたであろう現代の情勢を、私なりに書き連ねていこうかと思いついた。

今は昔ならぬ、今は末法。世の中の乱れはすさまじく、日本の経済もここまでかと思うくらい、物価高で、円安、非常に生きにくい。

第一、自分の仕事が、補助金なしでは生きていけない状態になっている最中に、それがいつまでたっても申請が通らない。顧客が採択されて実施期間はもうとうに過ぎ、実施報告を終えていないといけないはずなのにも関わらず。

こんなことになったのは去年の国会がきっかけなのか?それとも政治の腐敗が議員のパーティ券などに見る如くの税金の矛盾を少なくとも経産省は補助金の使い方を精査するようになったからか?

下請けには下請けなりの苦労があるのである。あるごの代表社員である私ははもともと、とあるシステム開発会社の一社員として、さまざまな請負の契約を会社でしてきては、それを住居までも異動させて長時間残業完全体制で客先常駐をして生活を立てていたのだった。

体のいい奴隷制度なのか、社畜だったのか、と今振り返れば、若いときにしかできえない限界までの残業をしてまでも、業務を遂行していく会社の手足であったのが懐かしい。女子更衣室がお友達という生活は全く結婚の機会すらない。残業手当が基本給よりはるかに高く、毎月がボーナスか?となるまでに1年、それまでは会社の教育体制がすごすぎて、毎日セミナー三昧の日々が続いたのであった。

それでも景気が後退したときのある日、会社は男子社員以外はすべて首を切ろうとした。たまたま自分は研究職の他の人ではできない仕事を任されていたために、首にはならなかったが、同期や先輩、後輩の女性陣が次々退職していくのを見て、いつかは自分も、、、と思わざるを得なかったのを思い出した。そして本当に男女問わずに首を切りだしたとき、自分がその首切りの役目を教育担当としてやらされることになったのが、あまりにつらくなって会社を辞める原因となったのであった。なんと、技術職の採用の人員をすべてゲーセンの店長にするという計画。自己都合でみな辞めたくなるように仕向けて行ったのであった。「人がすべて」と言いながら、全然違う実態にシステムエンジニアというのは、人間の仕事を奪う、自分で自分の仕事を減らすためにあるのだという結論に落ち着いた。

そのようなことを会社がやるのは、非人道的とも思えたが、今経営する側に回ってみて、それもいつまでも残される社員よりは若いうちにやり直しができるという意味では全くの方針間違いでもなかったのかなと。ふと、年をとってからなのか、若い時とは違う憤りがなく冷静に物事が見えるようになった部分もあるのかもしれないなと。